2006年10月02日
同行二人
お菊は、舅についていってしまいました。
同行二人。「どうぎょうににん」と読むのだそうです。
札所巡りのお遍路さんたちは、ひとりぼっちなように見えるけど、
実はいつもお大師様(弘法大師=空海)といっしょなんだよ、という意味であったと記憶しています。
目に見えないけど、いつもいっしょ。
白装束の舅の後ろ姿を描いていて、ひょいとこんなフレーズを思い浮かべてしまいました。
ヒトの顔おぼえない、お手と伏せくらいしかできない、
散歩に連れ出しても家から100m離れるとおびえて座り込んでしまう
なんの取り得もない、
なにかトラブルでもない限りは月に1度会うかどうか。
そんな犬一匹死んだことが、なんでこんなに堪えてるんだろう。
最後に会ったとき、大好きだったジャーキーをやっても食べなくて、
ごろんとあばらの浮いたおなかを出してきた。“ここ、なでてよ。”
たたんだこうもり傘みたいな手触りが、とてもとても悲しかった。
同行二人。「どうぎょうににん」と読むのだそうです。
札所巡りのお遍路さんたちは、ひとりぼっちなように見えるけど、
実はいつもお大師様(弘法大師=空海)といっしょなんだよ、という意味であったと記憶しています。
目に見えないけど、いつもいっしょ。
白装束の舅の後ろ姿を描いていて、ひょいとこんなフレーズを思い浮かべてしまいました。
ヒトの顔おぼえない、お手と伏せくらいしかできない、
散歩に連れ出しても家から100m離れるとおびえて座り込んでしまう
なんの取り得もない、
なにかトラブルでもない限りは月に1度会うかどうか。
そんな犬一匹死んだことが、なんでこんなに堪えてるんだろう。
最後に会ったとき、大好きだったジャーキーをやっても食べなくて、
ごろんとあばらの浮いたおなかを出してきた。“ここ、なでてよ。”
たたんだこうもり傘みたいな手触りが、とてもとても悲しかった。