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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2008年05月22日

人ひとりの死ではないのだ

職場からの帰り道
荒川沿いの桜堤を通りかかったら
何台もの化学消防車とパトカーが
じゅずつなぎになって停まっていて、
ふだんは釣り客のライトバンがならんでいるあたりに非常線が張られ、
なんとも不穏な雰囲気だ。

スピードをゆるめて、野次馬に
「事故でもあったんですか?」
とたずねたら

「自殺みたいだよ」
との答え。

化学物質を使った自殺。
「流行」だなんて言葉は、使いたくないな。

×   ×   ×

ネットを覗くといたるところで
「死にたいやつは勝手に死ねば?」
という言説がまかりとおっている。

いやだいやだ。

「死」を選択するに至るプロセス
ひとつひとつの「死」にまつわる物語に想像力が及ばない

「ほんとはみんな生きていたいんだ」という
あたりまえの事実に想像力が及ばない

この世情は、いつ誰がつくったのか。

死は、人ひとりの死ではないのだ。

「親の死」
「子の死」
「兄弟の死」
「友達の死」
「隣人の死」
「同僚の死」・・・・・

「自死」という選択は、
世界を覆う巨大でデリケートな網の目に、独断で風穴を開ける行為なのだと思う。
「自死」という選択はね、
世界を構成するすべての「しくみ」に対するダメ出し=テロなんだ。

この世情は、いったい、いつ誰がつくったのか。

  

Posted by 独酔舎 at 22:27Comments(0)