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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2015年12月01日

竹内浩三のこと。

竹内浩三の『筑波日記』を読んでいる。

竹内浩三は、詩人である。

と言っても、整然には一冊の詩集も出版されてはいない。
学生時代に、いくつかの同ガリ版刷りの同人誌に関わり、
卒業と同時に動員されて兵隊さんになってしまい、
・・・終戦の年の春にフィリピンで戦死する。

『筑波日記』は、彼が入営直後、
茨城の筑波山麓の空挺部隊で過ごした日々をつづったメモだ。

仲の良かった姉に、宮沢賢治の詩集を送ってくれるようにねだり、
送ったその詩集が、姉のもとに送り返されてきた
ほとんど手つかずで帰ってきたその詩集の中身は、
じつは刃物で四角くえぐられており、

そこに隠されていたちいさな手帳が、

この『筑波日記』の原稿であるのだという。

「反戦詩人」、みたいな採りあげられかたもする。
でも、この日記に登場する浩三は、

(わたしと同じ)どこまでも「消極的厭戦主義者」でしかない。

日々の訓練のしんどさに文句をたれ、
休暇には料理屋のはしごをして、
そのレポートを「ぐるなび」よろしく書き連ねるような、

(・・・偏見ですが、たべること、
たべさせることに手を抜かないひとは、信用できます)

そして、ときには、近しい上官といっしょに、
憎き米英をやっつけるための「新兵器」の構想に
想いを巡らせるような

ほんとにほんとにふつうの、

こちらのてもとに引き寄せる必要すらないくらいの、
弱気な、付和雷同的な、ふつうの兄ちゃんなのです。

そして、この常軌を逸した普通さこそが、
いや、当時誰もが持っていながら書き記すことを許されなかった「普通」を、
まるで時代遅れのスパイ小説みたいな

秘めやかな いたずらっぽい やりかたで

この世に残していったことが、

いま、竹内浩三が再評価されているゆえんなのでは
ありますまいか。

×    ×     ×

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨はききたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまう
その心や

  

Posted by 独酔舎 at 20:51Comments(0)