2016年01月30日
リセットだったり、「やぎたこ」だったり
この5年ばかり関わってきた表仕事が、
まもなく終わります。
文字原稿・図版・写真の大量のデータを
木曜日に印刷屋さんに渡して、ああやれやれ。
あとは校正やら色校正やらあって、
よほどのことがなければ、3月末にレポートが完成します。
仕事の規模が大きいだけあって、
いろいろ戦後処理もたいへんなのだけど。
基本ひとり仕事が好きなわたしですが、
今回ばかりはすいぶんたくさんの人に助けてもらいました。
特に、さんざん無理をきいてもらった
パートさんたちには頭が上がりません。
プライベートでもこの5年間で、
住まいを移り、
ふた親を見送り、
・・・ほかにも、ほんとにいろいろなことがありました。
4月からの境遇は、まだ白紙ですが、
あまり先走って心配したって仕方ないですからね。
まずは、デスクに置きっぱなしの私物を引き上げて、
たまりにたまった資料の処分をせねば。
親父の葬式の後始末もあるし。
とりあえず3月までは、「リセット」の期間にしようかなと。
× × ×
直近のライブは、地元・東松山で。
グッドタイムミュージックの伝道師「やぎたこ」と一緒です。
http://homepage2.nifty.com/m-yanagi/yagitako/top.htm
アメリカの古いフォークソング
(ほんとの意味の"民謡"です!)から、
ポップミュージックまでの
長い長い旅を追体験する、
まるで一篇のドキュメンタリーフィルムのようなステージ。
つぎからつぎへと登場する、
摩訶不思議な弦楽器の数々も見どころです。
共演は『ペンギンとシロクマ』、
そして、『一級河川荒川団』のボーカル・ギター・ハーピスト=「ならじん」。
乞うご期待!
2月13日(土)
やぎたこ+ならじん+ペンギンとシロクマ
東松山『レトロポップ食堂』
埼玉県東松山市箭弓町3-3-4
東武東上線「東松山」駅徒歩10分
開場 18:30
開演 19:00
料金 ¥2.000+オーダー
まもなく終わります。
文字原稿・図版・写真の大量のデータを
木曜日に印刷屋さんに渡して、ああやれやれ。
あとは校正やら色校正やらあって、
よほどのことがなければ、3月末にレポートが完成します。
仕事の規模が大きいだけあって、
いろいろ戦後処理もたいへんなのだけど。
基本ひとり仕事が好きなわたしですが、
今回ばかりはすいぶんたくさんの人に助けてもらいました。
特に、さんざん無理をきいてもらった
パートさんたちには頭が上がりません。
プライベートでもこの5年間で、
住まいを移り、
ふた親を見送り、
・・・ほかにも、ほんとにいろいろなことがありました。
4月からの境遇は、まだ白紙ですが、
あまり先走って心配したって仕方ないですからね。
まずは、デスクに置きっぱなしの私物を引き上げて、
たまりにたまった資料の処分をせねば。
親父の葬式の後始末もあるし。
とりあえず3月までは、「リセット」の期間にしようかなと。
× × ×
直近のライブは、地元・東松山で。
グッドタイムミュージックの伝道師「やぎたこ」と一緒です。
http://homepage2.nifty.com/m-yanagi/yagitako/top.htm
アメリカの古いフォークソング
(ほんとの意味の"民謡"です!)から、
ポップミュージックまでの
長い長い旅を追体験する、
まるで一篇のドキュメンタリーフィルムのようなステージ。
つぎからつぎへと登場する、
摩訶不思議な弦楽器の数々も見どころです。
共演は『ペンギンとシロクマ』、
そして、『一級河川荒川団』のボーカル・ギター・ハーピスト=「ならじん」。
乞うご期待!
2月13日(土)
やぎたこ+ならじん+ペンギンとシロクマ
東松山『レトロポップ食堂』
埼玉県東松山市箭弓町3-3-4
東武東上線「東松山」駅徒歩10分
開場 18:30
開演 19:00
料金 ¥2.000+オーダー
Posted by 独酔舎 at
20:29
│Comments(0)
2016年01月24日
父を送りました。
休日出勤でした。
大宮駅前の、けっこう大きな会場でしゃべりました。
(ああ、これがぜんぶライブの客だったら!)
いつものことながら思うのです。
× × ×
慰労会、堅苦しい一次回が終わって、
二次会に流れた頃に、携帯に連絡が入っているのに気づきました。
親父が倒れたという。
慌てて返信入れてみたところ、
倒れたというか、
見つかった時点で、もういかん状態であったのだそうで。
小雪の舞い始めた道すがら、
親戚やら表仕事関係やらに何十本も電話しました。
表仕事関係は、726ページのレポートの、
725ページ目を書いていたところだでしたが、
かろうじて引き継いでもらう見通しが付きました。
(・・・というか、1ページ分だけ待ってもらうだけなのだが)
ライブは、幸い、入れておりませなんだ。
× × ×
実家に着くと、警察が来ていました。
病院でなく、自宅で亡くなったので、
いわゆる「変死」の扱いです。
一部屋に集められて、あれこれ事情聞かれて、
そうこうする間に検死とかあって、
パトカーが帰ったのが2時。
それから葬儀屋さんに連絡入れて、
あれこれ段取りして、実家を出たのが4時。
いつの間にか本降りになった雪で、国道の路面は真っ白。
あちこちで除雪車がはたらいていましたっけ。
× × ×
検死をしたのが、新座の開業医であるという。
もろもろの手続きに必要な、死体検案書(死亡診断書)を取りに行けという。
そんなもの、うちに来たときに書いて置いてってくれればいいのに。
大雪でダイヤがガタガタの東上線を乗り継ぎ、志木駅まで。
そこからさらに、雪道を歩いて20分ばかり。
一通ウン万円也の死体検案書をいただいて、
つるつる滑りながら元来た道を戻りました。
× × ×
亡くなったのが17日。葬儀の予約ができたのが、22・23日。
年末年始の間は葬儀場も火葬場も閉まってしまうので、
その間待たされていた仏様がまだつかえているのだとかで。
その間、近所のお年寄り達が線香上げに来てくれた以外に弔問客とてなく、
リタイアしてから15年も経ってしまうと、男なんて寂しいもんです。
まあ、おかげで死に目にこそ会えなかったがゆっくりと別れができたし、
準備もゆとりをもって進められたから、いいか。
× × ×
葬儀の当日は、記録的な寒波という予報。
しかも、交通不便な郊外の葬儀場しか抑えられず、
そもそも父じしんが、趣味もなく人付き合いも嫌いな男だったもので、
ぜ~んぜん人が集まらなかったどうしようかと、結構弱気になっていました。
「会葬御礼、50も頼んじゃったけど、大丈夫かな。30くらいでたくさんだったりして?」
でも、ふたをあけてみたら、近所の人たちのほか、
わたしら兄弟の職場関係の人々もたくさん足を運んでくれて、ありがたいことでした。
昨年夏から認知症が出ていたものの、
肉体的には長く病みついた末の死とかでなく、
ここ数か月はとてもいいヘルパーさんについてもらったこともあって、
とても機嫌が良く、
むしろ認知症の症状も劇的に改善されていた。
そんななかの突然の「お迎え」であったこともあって、
ごく円満な、眠るような死に顔でありました。
交流の深かった叔父がひとこと、
「・・・遺影が似てねえな!」
晩年はひきこもりがちで、写真に写ること自体まれであった父のこと、
近年撮った遺影向きの写真が見つからず、
仕方なく免許証の写真を加工してもらいました。
それは母が亡くなった直後の、精神的にキツい時期のもので、
祭壇の前にならべてみると、遺影よりも死に顔のほうが福々しく健康的であるという
なんだかちょっとへんてこなお葬式になりました。
母にも引導を渡してくれた若いお坊さんが、
あれからちょっと貫禄が付いて、
お経の読み方もえらいこと上手になっていて、
妙なところで三年という時の流れを感じたりしました。
× × ×
一夜明けて、西日本では寒気団が大暴れ
(広島で1mの積雪ですと!)
ですが、関東は快晴。
位牌やら四十九日法要の準備やらで一日が終わり
明日から日常に戻ります。
レポートの「726ページ目」をなんとかやっつけて、
ほかにもいろいろと雑事が待ち構えています。
2月3月は、ライブもぼつぼつ埋まりはじめていて。
もちろん、父の身辺整理もこれからが本番だ。
こちらは、幸いというか、ケツの決まった仕事ではないので、
一周忌くらいを目標にゆるゆるやります。
もちろん、兄弟三人、力を合わせてね。
そんなわけで、ちょっと反応が遅いこともあるかもですが、
なにとぞ一つ、宜しくお願いいたしますです。
大宮駅前の、けっこう大きな会場でしゃべりました。
(ああ、これがぜんぶライブの客だったら!)
いつものことながら思うのです。
× × ×
慰労会、堅苦しい一次回が終わって、
二次会に流れた頃に、携帯に連絡が入っているのに気づきました。
親父が倒れたという。
慌てて返信入れてみたところ、
倒れたというか、
見つかった時点で、もういかん状態であったのだそうで。
小雪の舞い始めた道すがら、
親戚やら表仕事関係やらに何十本も電話しました。
表仕事関係は、726ページのレポートの、
725ページ目を書いていたところだでしたが、
かろうじて引き継いでもらう見通しが付きました。
(・・・というか、1ページ分だけ待ってもらうだけなのだが)
ライブは、幸い、入れておりませなんだ。
× × ×
実家に着くと、警察が来ていました。
病院でなく、自宅で亡くなったので、
いわゆる「変死」の扱いです。
一部屋に集められて、あれこれ事情聞かれて、
そうこうする間に検死とかあって、
パトカーが帰ったのが2時。
それから葬儀屋さんに連絡入れて、
あれこれ段取りして、実家を出たのが4時。
いつの間にか本降りになった雪で、国道の路面は真っ白。
あちこちで除雪車がはたらいていましたっけ。
× × ×
検死をしたのが、新座の開業医であるという。
もろもろの手続きに必要な、死体検案書(死亡診断書)を取りに行けという。
そんなもの、うちに来たときに書いて置いてってくれればいいのに。
大雪でダイヤがガタガタの東上線を乗り継ぎ、志木駅まで。
そこからさらに、雪道を歩いて20分ばかり。
一通ウン万円也の死体検案書をいただいて、
つるつる滑りながら元来た道を戻りました。
× × ×
亡くなったのが17日。葬儀の予約ができたのが、22・23日。
年末年始の間は葬儀場も火葬場も閉まってしまうので、
その間待たされていた仏様がまだつかえているのだとかで。
その間、近所のお年寄り達が線香上げに来てくれた以外に弔問客とてなく、
リタイアしてから15年も経ってしまうと、男なんて寂しいもんです。
まあ、おかげで死に目にこそ会えなかったがゆっくりと別れができたし、
準備もゆとりをもって進められたから、いいか。
× × ×
葬儀の当日は、記録的な寒波という予報。
しかも、交通不便な郊外の葬儀場しか抑えられず、
そもそも父じしんが、趣味もなく人付き合いも嫌いな男だったもので、
ぜ~んぜん人が集まらなかったどうしようかと、結構弱気になっていました。
「会葬御礼、50も頼んじゃったけど、大丈夫かな。30くらいでたくさんだったりして?」
でも、ふたをあけてみたら、近所の人たちのほか、
わたしら兄弟の職場関係の人々もたくさん足を運んでくれて、ありがたいことでした。
昨年夏から認知症が出ていたものの、
肉体的には長く病みついた末の死とかでなく、
ここ数か月はとてもいいヘルパーさんについてもらったこともあって、
とても機嫌が良く、
むしろ認知症の症状も劇的に改善されていた。
そんななかの突然の「お迎え」であったこともあって、
ごく円満な、眠るような死に顔でありました。
交流の深かった叔父がひとこと、
「・・・遺影が似てねえな!」
晩年はひきこもりがちで、写真に写ること自体まれであった父のこと、
近年撮った遺影向きの写真が見つからず、
仕方なく免許証の写真を加工してもらいました。
それは母が亡くなった直後の、精神的にキツい時期のもので、
祭壇の前にならべてみると、遺影よりも死に顔のほうが福々しく健康的であるという
なんだかちょっとへんてこなお葬式になりました。
母にも引導を渡してくれた若いお坊さんが、
あれからちょっと貫禄が付いて、
お経の読み方もえらいこと上手になっていて、
妙なところで三年という時の流れを感じたりしました。
× × ×
一夜明けて、西日本では寒気団が大暴れ
(広島で1mの積雪ですと!)
ですが、関東は快晴。
位牌やら四十九日法要の準備やらで一日が終わり
明日から日常に戻ります。
レポートの「726ページ目」をなんとかやっつけて、
ほかにもいろいろと雑事が待ち構えています。
2月3月は、ライブもぼつぼつ埋まりはじめていて。
もちろん、父の身辺整理もこれからが本番だ。
こちらは、幸いというか、ケツの決まった仕事ではないので、
一周忌くらいを目標にゆるゆるやります。
もちろん、兄弟三人、力を合わせてね。
そんなわけで、ちょっと反応が遅いこともあるかもですが、
なにとぞ一つ、宜しくお願いいたしますです。
Posted by 独酔舎 at
19:18
│Comments(2)