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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2016年09月28日

2016秋 関西ツアー顛末

9月16日(金)
夜10時に、おとさんとゑ川さんを乗せたライトバンが迎えに来る。国立で館野さんを拾い、これでフルメンバー。圏央道から東名→第2東名を通るルート。

「遠州森町」SAで車中泊。さすがに大の大人が4人いると排出する水蒸気の量がはんぱでなく、窓を細目に開けているにもかかわらずガラスといわず壁といわずびっしり結露して寝苦しい。

3時間と眠れずに目が覚めて、トイレに立ったついでにエリア併設のコンビニでコーヒーをいれて、そのままベンチに座ってしらじらと夜が明けていくのをながめていた。

1時間ほどでクルマにもどると、みんなもう起きていて、
「トイレで倒れているんじゃないかと思った」
と、おこられた。

そんな心配をされるくらいには、わしも歳をとったのだなあ。

9月17日(土)

朝8時すぎに音楽祭会場の「ジョイいぶき」に着く。この日は出番なしなので、屋外のグロウブステージ・室内のジョイホール・ストリートエリアと、好きに観てあるく。

ジョイホールのトリの中川五郎さんのステージは、この日のハイライトだったなあ。
五郎さんのソロに中野督夫さんと北村謙さんが加わり、そこにペケ=いとうたかおさんがハープで乱入。舞台いっぱいに、すきなよう~に遊ぶ、名うてのおっさん4人。ああ、なんてしあわせなんだろう。客席もものすごい盛り上がりだった。

終演後の屋外ステージに車座になって、恒例の打ち上げがスタート。1年ぶりのひとたちと、ひたすら話す。話す。

宴なかばから、ステージ中央に置かれた「伝説のギター」で一曲づつ披露する「いっぽんのギター」のコーナーがスタート。
今年はぺんくまにも声がかかって、マンドリンの宮崎勝之さんゆかりの「誰かが星を見てた」を。


9月18日(日)
未明から大雨。
わたしと館野さんが寝ていたテントが浸水して、超バッドモーニング!

この日は忙しかった。朝一の屋内「ジョイホール」でぺんくま、直後に屋外「グロウブステージ」で元祖ばった屋。


ぺんくまのステージでは、「誰かが星を見てた」で館野さんに、とても綺麗なマンドリンを弾いていただく。逆に、ばった屋のステージにはゑ川さんにウォッシュボードでまざってもらって、にぎやかに。

終演後、近江長岡の駅でおとさん・館野さんと別れて、在来線を乗り継いで神戸へ。

新神戸駅にGWANさんが迎えに来てくれていて、神戸滞在中にお世話になる東極楽寺の小林和尚に引き合わせていただく。

 東極楽寺は、三宮の中心街に立つお寺さん。外から見ると鉄筋のビルにしか見えないが、中に入ると中国風瓦屋根の本堂と事務所、居住棟が石畳の中庭を取り囲み、照葉樹の大木が頭上を覆っている。まるで北京の四合院を思わせる不思議な空間だ。

ここは毎年春に「お花祭り」というイベントをやっていて、今年もGWANさんや順平さん、下田逸郎さん、ふちがみとふなとさん、小野一穂さんなんかが出演した場所だ。

和尚さんも絵や音楽等とても多才な人。
現在、おりおりの印象をスマホのアプリで一気呵成に描く「スマホ画家」(!)としても売り出し中だ。

お酒を飲みつつ音楽の話や海外旅行の話、めってに聞けない「業界」の話など聞かせていただいたが、わたしはちょっと疲れが出て、一足先に沈没。

これは、和尚さんがスマホで描いた「ペンギンとシロクマ」。

9月19日(月・祝)
 ゆっくりめに起きて、和尚さんの車で神戸市内を案内していただく。六甲の展望台からみる港町の景色のすばらしかったこと。ハーバーランドでは、GWANさんの提案で、4人それぞれの「悲しい顔」をしてカメラに収まったりして遊ぶ。

 夕方、その日の会場である豊中市の「スペース草」に向かう。

 外見は年季の入ったトタンや板壁に囲われ、玄関先に不思議なオブジェが並ぶなんともあやしげな空間なのだが、中に入るとさらにへんてこりん。

 手作り感満点の内装。不思議なところに柱があったり、梁が通っていたりで、お芝居のセットみたいだ。「夫婦喧嘩するごとに何かが増えたり変わったりするんですよ」とは、ママさんの談。
石畳の床には打ち水がされ、ドーム状の天井には木枠のガラス戸がはまって、今にも誰かが顔を出しそう。普段はギャラリーとして使われているだけあって、いたるところに立体作品やイラストが飾られている。ひとつとして同じ物のない椅子やテーブルなどの調度品も、それぞれが「作品」であるかのようだ。

 お店の片隅にグランドピアノが置かれているのを見つけて大喜びするゑ川さん。今回の旅は弦楽器とピアニカだけでまかなうことにしていたものの、ピアノがないとできない曲も多い。さっそく使わせていただくことに。

 日が落ちて、そぼ降る雨の中お客さんが集まってきて、ほぼ定時に開演。

 GWANさんが数曲やって、わたし・ゑ川さんの順で呼び込んでもらってちょっと合わせて、それからぺんくまのステージがスタート。
ここは客席との距離感が絶妙で、こちらの出す音や声が聴き手に届いて、はね返ってくるのを感じながら、ゆったりと演奏した。ゲストなのにアンコールまでいただいて、めでたく第一部が終了。

 第二部もGWANさんのソロからはじまる。久しぶりに聴く「あかんぼ殺しのマリーファーラー」。「わがんね」のうめくようなつぶやきは、聴くたびごとにおくゆきをましていく。
途中からぺんくまも呼び込んでいただいて、三人でたっぷりと。店の雰囲気にほどよく背中を押されながら、こういうときって普段ぜったいできないようなことがするりとできたりする。

終演後、お客さんもまじえて打ち上げ。たくさんの大皿に盛られたママさんの手料理は、どれもものすごくやさしい味。
ギャラリーとあって、お客さんも絵描きさんであったり、ダンサーであったり、陶器を扱うお店のご主人がいたり。打ち上げの話題も多岐にわたる。

名刺代わりにとご主人にCDをお渡ししたら、「かわりにこれを持って行け!」と、灯油缶を改造したぶっとんだデザインの椅子を指さす。これをメイプルベースのミニライブに持って行ったらウケるだろうな、と小躍りするも、いかんせんこれは飛行機に乗せられない。結局、後日自宅に送ってもらうことにする。

あれこれあって、日付が変わるころにお開き。
戎様で有名な西宮の父上の家に滞在するゑ川さんを残し男三人は東極楽寺へ。

9月20日(火)
 台風が四国に上陸したのだとかで、朝から雨。

 散歩がてら三宮の駅に空港行きのバス停の場所を確認しに行ったら、お寺に帰るころは結構な嵐に。
 どこにも行けないので、近所のクアハウスでGWANさんとのんびりする。

屋上の露天風呂で寝そべっていると、頭上の目隠し代わりの鉄格子ごしに物凄い勢いで雲が飛んでいくのが見える。風がうなり、ときおりバケツの水を叩きつけるような雨。でも、もとより「まっぱ」であるから気楽なもんである。
単純なもので、自分がちょっとばかり強くなったような気分になっている。
「ふふん、矢でも鉄砲でも持ってこい!」

たぶんこれまでの人生でもっとも長い入浴の後、ゑ川さんと合流して、その日の会場「BAR月」へ。ちょっとインド~ネパールあたりの匂いのする暗くメタリックな店内は、自宅の近所の「ぬけがら」にちょっと似ている。

ライブの仕込みを済ませて、和尚さんとマスターの湖月さんと5人でガード下の飲み屋さんへ。いつも満席で滅多に入れないという店内は、台風のせいで、それでも6~7割は埋まっている。

メニューは豊富で、しかも安くておいしいのだが、お給仕の若くてきれいな女性たちの愛想がすばらしく悪くて、
「いったい、ひとからこんなに邪険にされるのはいつ以来だろう」
と、思わず遠い目になってしまうくらいのイタキモチヨサなのだった。

お店に戻ると、すでにたくさんのお客さん。

GWANさんの古稀のライブでお話しして以来の「はっちゃん」と再会できたのもうれしかったが、
中川みつおさんと会えたのはわたしにとっての「事件」だった。

みつおさんは、ムーニーさんの「マッドワース」とともに今のジャグバンドブームの草分けとなった「春待ちファミリーバンド」というバンドのメンバーだった。
神戸の震災の直後だったと思うが、わたしは池袋のタワーレコードで「春待ち」のCDを手に取って、いっぱつでファンになってしまったのだ。

みつおさんが歌う「ストリートオブロンドン」の邦訳の「ストリートオブ六甲」なんか、一人で聴いていて何度涙を流したことか。

この日のアフターライブで聴いたみつおさんの歌は、CDとは比べものにならないくらいに味わい深くて、ほんと、こうして日本中のあちこちに、まだ聴いたことのない素敵な歌い手たちがたくさんいるんだろうなと、うれしくなる。

ライブは前日と同じ構成だが、カウンターだけの細長い店内にお客さんがひしめいていて、ステージへの出入りも、体を横にしたり斜めにしたりしながらで容易でない。
当然ながら3人横に並ぶことなど思いもよらず、GWANさんが座った斜め前に一段低くわたしが座り、後ろに背後霊のようにゑ川さんが立って、懐かしい「チューチュートレイン」のようなフォーメーション。

こういう時って、わたしは気持ちをどこに向けていいかわからず、ダメダメになってしまうことが多いのだけど、この日はGWANさんに引っ張ってもらってなんとか乗り切れたみたいでした。

休憩明けに、地元のプロギタリスト「あかべえ」さんがステージに上がって、私のギターでGWANさんと1曲。
それからソロで「くじらの眠りかた」を弾き語ったのだけど、GWANさんのオリジナルとくらべぐっとブルージーな歌いっぷりで、やっぱり自分の土俵をしっかり持ってる人は違うよなと思ったことでした。

この日も日付が変わるころにお開き。
屋外は雨も風も嘘のようにおさまっており、雲のすき間からちらちらと星が見えておりました。

9月21日(火)
 9時に関空行きのバスが出るので、この日はちょっとだけ早起き。
これから仕事だという和尚さんは、墨染めの法衣姿。
GWANさんは神戸空港から沖縄に飛ぶということで、和尚さんの車でいっしょに出発。

 空港ロビーでゑ川さんと合流。
ずいぶんゆとりを持って着いたつもりなのだけど、特注の2本入りのウクレレケースが重量オーバーで機内に持ち込めなかったり、けっこうまごつく。
もっと身軽に旅ができるように、演奏のスタイルにも幅を持たせたほうがいいかな。
ソプラノのウクレレ1本で旅とか、理想ではあるのだけれど。

今はまだ、唄がギターの深い鳴りを必要としている。

 11半の飛行機で関空を飛び立つ。
いわゆるLCCって初めて乗る。余計なサービスやお愛想は一切なし。ビニル張りのシートがびっしりと詰め込まれた客席は、なんだか昔の地方の路線バスみたいだ。
でも、ほんの1時間足らずの空の旅ならば、これで十分なのだけど。

 成田から京成線で都内に。人の歩くスピードが2割ほど速く感じられる。ここではエスカレーターはステップの右側に立つのだ。

 そのままあわただしく仕事に出かけていくゑ川さん。

朝からほとんど何も食べていないことに気付いたわたしは、池袋の中華屋さんで、
ひとりでこの旅の最後の「ちいさい乾杯」をした。

  

Posted by 独酔舎 at 20:47Comments(0)

2016年09月10日

たったの18年

最近ヘビロテ気味の音源。

https://youtu.be/NPIaMXB0okA

なんと、1901年生まれ。昭和ヒトケタ代に活躍した「歌手」であります。

バートンクレーンさん。アメリカ人です。

ニューヨークタイムズとウォールストリートジャーナルかけもちの特派員として来日した、バリバリのジャーナリストであります。
仕事はものすごくできるひとだったらしいのだが、宴会の余興でいんちきな歌を歌っていたところを、コロンビアレコードの社長に捕獲され、30曲あまりをレコーディングしたんだそうな。

いってみりゃ、いまどきの「へんな外人タレント」の元祖であります。

×     ×     ×

来日したのが1925年。関東大震災が1923年ですから、首都東京は物心両面でいろんな後遺症が残っているころですな。
それから二年後の1927年には、最初のレコーディングをしております。

ジャズ小唄やオペレッタ・聖歌・当時の俗謡なんかに、適当な(でも、時折みょうに的確な)日本語詞をつけて歌いまくる芸風。

これが、いま聴いても、アナーキーかつモダンで、実にかっこいいのです。

当時の、復興にむけてアゲアゲの世相には、ウケたんだろうな。
エノケンやロッパとも親交があって、あきらかに影響を与えております。

×     ×     ×

でも、

最初の録音の翌年の1928年には、中国で日本軍による要人暗殺事件(張作霖爆殺事件)が起きます。

その3年後の1931年には、満州で日中戦争の戦端がひらかれ。

5年後の1936年には、軍部によるクーデター=2.26事件。
この年にクレーンさんは日本を離れています。

さらに5年後、1941年、
八方ふさがりのヤケクソの真珠湾攻撃から太平洋戦争がはじまり、

その4年後の1945年に、広島と長崎に核爆弾が落とされます。

×     ×     ×

震災の焼け跡に、クレーンさんの能天気な歌声が響きわたってから、

東京の街がふたたび焼け野原になるまで、18年。

たったの18年です。

ちなみに、いまから18年前にどんな曲が流行ってかな~?っておもって、検索してみました。

・・・SMAPの、「夜空ノムコウ」でした。  

Posted by 独酔舎 at 08:37Comments(0)