2016年08月30日
歌う「気持ち」
東和町の「ほうほう」さんと別れて、山中を走ること1時間半。仮設店舗の陸前高田「ジョニー」に到着。
やなぎさんに連れられて、震災前の「ジョニー」にお邪魔したのが15年前。あのときは、秋田の大仙市の音楽イベントに向かう大勢のシンガーのなかのひとりでした。
× × ×
ジャズ喫茶なのに、なにやらしんとした店内。
聞けば、日中は壁際に置かれたステレオセットの調子が悪く、しばしば音楽が流せなくなるとのこと。
外は秋風が吹き始めているのに、屋根壁を太陽に直接焼かれるプレハブ建築の環境は過酷なようで・・・仮設暮らしの現実の一端を見た思いがしました。
たまたまイベントの打ち合わせに来ておられた地元の方々とコーヒーを飲みつつしばし雑談。被災地でライブをやることについて、「なかなか人も集まらないし、大変でしょう?」との問いに、
「しっかり気持ちをつくらないとできません。」
と、よしこさんが答える。
「気持ちをつくる」という言い回しにはっとする。うまくいかないライブのときに感じる、なにをやっても上滑りするような、伝わらない感じ。
去年、意を決して震災後はじめて釜石のまちで歌ったときもそうだった。
× × ×
しばらくして主催のしのぶさんも合流。開演まで間があったので宿に移動し、少し早いけれど風呂に漬かって汗を流しました。
湯上りのほてりを冷まそうと外に出てみると、背後の高台の木立ちの中に大きな甍(いらか)が見える。
先週の台風でところどころ崩れた坂道を上ってみれば、それは古いお寺でした。
鐘楼を兼ねた山門の前に真新しい石碑が建っている。東日本大震災殉難者の供養塔です。
山門前の広場から、集落を見渡すことができました。どの家も柱や土台は古びているのに、屋根瓦や土壁が不自然に真新しいのです。
さっき宿のロビーで話した湯治客のおばあちゃんが、「こんなところまで波がきたのよ」と言っていたっけ。
集落の真ん中をひとすじの線路が走っているのですが、いちめんに夏草に覆われていて、これは震災いらい一部不通となっているJR大船渡線。
・・・この広場に逃げて助かった人もたくさんいたんだろうな。そんな景色をみているうちに、自分のなかでじわじわと「ここで歌う気持ち」みたいなものが立ち上がってきました。
日が落ちて、ようやく昼の猛暑から解放されたジョニーに、ぞろぞろとお客さんが集まってきます。ぜんぜん知らない顔に混じって、塩釜市のイベントを終えてかけつけてくれたやなぎさん。
そして、どこで嗅ぎ付けてきたやら、昔おなじ職場にいて、いまは釜石市で働いているとても若い友人の姿も!
舞い上がったり、気負ってしまってもおかしくないのに、不思議と心が静かだったのは、前座の気楽さか、あるいは「気持ちができて」いたということなのか。
昼に東北道からみえた稲穂の海を思い出しながら、「いなだまの国」からゆっくりスタート。長い歌のあとで、みんなにちょっとリラックスしてほしかったので、「アフリカの月」。
さっきのお寺で急きょ歌うことを決めた「カンパネルラとカルボナードの間」。
http://docsuisha.sapolog.com/e332495.html
歌詞に「カンパネルラ」と「カルボナード」の名前が登場したとき、客席から「あっ!」と小さく声が上がって、ひやりとする。でも、このままいくしかない。幸い、その後の空気は好意的なものでした。
MCをはさんで「食卓」。そして、ちょっと勢いをつけてよしこさんにつなげたかったので、「黒の舟歌」。音響の良さ、お客さんたちの温かい反応にも支えられて、とてもいい感じに着地できました。
× × ×
よしこさんのステージは、いきなり大曲「地球に似た星にいるあなたへ」からスタート。
新たなことばが付け加えられた反骨のうた「She Said No!」。夕陽を浴びる丘の上で缶ビールを手にしたよしこさんが古代人と対話する小品「3/4あたり」。
中盤、やなぎさんとわたしが呼んでもらって、3人で「トンネルの歌」から「生活の柄」のメドレーと、ノンストップでどんどん進む。
ラスト、被災地の「いま」を切り取った大曲「高野君の焼き鳥屋」。
https://youtu.be/TpnY--tObKo
そういえば、昨日の盛岡では、1曲目が「忘れないということ」、
https://youtu.be/G3cjS6aXONY
ラストがこの「高野君の焼き鳥屋」だった。すごいな。いま、東北で、歌うための「気持ち」が、ステージの中心をまっすぐに貫いている。
× × ×
(武骨な男歌をやわらかな女言葉にさしかえて、「おばかさん」とやさしく語り掛けるアンコール曲もよかったです。)
やなぎさんに連れられて、震災前の「ジョニー」にお邪魔したのが15年前。あのときは、秋田の大仙市の音楽イベントに向かう大勢のシンガーのなかのひとりでした。
× × ×
ジャズ喫茶なのに、なにやらしんとした店内。
聞けば、日中は壁際に置かれたステレオセットの調子が悪く、しばしば音楽が流せなくなるとのこと。
外は秋風が吹き始めているのに、屋根壁を太陽に直接焼かれるプレハブ建築の環境は過酷なようで・・・仮設暮らしの現実の一端を見た思いがしました。
たまたまイベントの打ち合わせに来ておられた地元の方々とコーヒーを飲みつつしばし雑談。被災地でライブをやることについて、「なかなか人も集まらないし、大変でしょう?」との問いに、
「しっかり気持ちをつくらないとできません。」
と、よしこさんが答える。
「気持ちをつくる」という言い回しにはっとする。うまくいかないライブのときに感じる、なにをやっても上滑りするような、伝わらない感じ。
去年、意を決して震災後はじめて釜石のまちで歌ったときもそうだった。
× × ×
しばらくして主催のしのぶさんも合流。開演まで間があったので宿に移動し、少し早いけれど風呂に漬かって汗を流しました。
湯上りのほてりを冷まそうと外に出てみると、背後の高台の木立ちの中に大きな甍(いらか)が見える。
先週の台風でところどころ崩れた坂道を上ってみれば、それは古いお寺でした。
鐘楼を兼ねた山門の前に真新しい石碑が建っている。東日本大震災殉難者の供養塔です。
山門前の広場から、集落を見渡すことができました。どの家も柱や土台は古びているのに、屋根瓦や土壁が不自然に真新しいのです。
さっき宿のロビーで話した湯治客のおばあちゃんが、「こんなところまで波がきたのよ」と言っていたっけ。
集落の真ん中をひとすじの線路が走っているのですが、いちめんに夏草に覆われていて、これは震災いらい一部不通となっているJR大船渡線。
・・・この広場に逃げて助かった人もたくさんいたんだろうな。そんな景色をみているうちに、自分のなかでじわじわと「ここで歌う気持ち」みたいなものが立ち上がってきました。
日が落ちて、ようやく昼の猛暑から解放されたジョニーに、ぞろぞろとお客さんが集まってきます。ぜんぜん知らない顔に混じって、塩釜市のイベントを終えてかけつけてくれたやなぎさん。
そして、どこで嗅ぎ付けてきたやら、昔おなじ職場にいて、いまは釜石市で働いているとても若い友人の姿も!
舞い上がったり、気負ってしまってもおかしくないのに、不思議と心が静かだったのは、前座の気楽さか、あるいは「気持ちができて」いたということなのか。
昼に東北道からみえた稲穂の海を思い出しながら、「いなだまの国」からゆっくりスタート。長い歌のあとで、みんなにちょっとリラックスしてほしかったので、「アフリカの月」。
さっきのお寺で急きょ歌うことを決めた「カンパネルラとカルボナードの間」。
http://docsuisha.sapolog.com/e332495.html
歌詞に「カンパネルラ」と「カルボナード」の名前が登場したとき、客席から「あっ!」と小さく声が上がって、ひやりとする。でも、このままいくしかない。幸い、その後の空気は好意的なものでした。
MCをはさんで「食卓」。そして、ちょっと勢いをつけてよしこさんにつなげたかったので、「黒の舟歌」。音響の良さ、お客さんたちの温かい反応にも支えられて、とてもいい感じに着地できました。
× × ×
よしこさんのステージは、いきなり大曲「地球に似た星にいるあなたへ」からスタート。
新たなことばが付け加えられた反骨のうた「She Said No!」。夕陽を浴びる丘の上で缶ビールを手にしたよしこさんが古代人と対話する小品「3/4あたり」。
中盤、やなぎさんとわたしが呼んでもらって、3人で「トンネルの歌」から「生活の柄」のメドレーと、ノンストップでどんどん進む。
ラスト、被災地の「いま」を切り取った大曲「高野君の焼き鳥屋」。
https://youtu.be/TpnY--tObKo
そういえば、昨日の盛岡では、1曲目が「忘れないということ」、
https://youtu.be/G3cjS6aXONY
ラストがこの「高野君の焼き鳥屋」だった。すごいな。いま、東北で、歌うための「気持ち」が、ステージの中心をまっすぐに貫いている。
× × ×
(武骨な男歌をやわらかな女言葉にさしかえて、「おばかさん」とやさしく語り掛けるアンコール曲もよかったです。)
Posted by 独酔舎 at 20:33│Comments(0)